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ユニバーサル・セックス

ユニバーサル・セックス / 大いなる宇宙の聖性『大 道』

                       2014年3月7日 老 子 陽 明

 

は じ め に

 

 現代の情報社会、あるいは目覚ましいグローバリゼーションが進展する今日、もはや私たちは世界中の知識や技術をいとも簡単に見渡すことが可能となった。そして、それらは全世界とのコミュニケーションをも可能にし、多様性に触れる機会を発展させるに至っている。つまり、『知識の獲得そのものがグローバル』なのである。

果たして、広大で膨大な情報化は私たちに幸福をもたらし、世界を一つに結び付けることを可能とするだろうか? 世界的に平和と正義に基づく秩序ある地球村を建設することに貢献するであろうか? 私たちの足元、目先、その先の未来に対し、「自由と充足」、「治癒と成長」を約束できるだろうか? 天と地とあらゆる生命を穢すことなく、「創造的進化の源泉」となりうるだろうか? そして何より「完全に一体化されたスピリットの出現」、「非二元的(ノンデュアル)な宇宙的存在」としてこのガイア(地球生命体)を真の楽園と位置付ける星に変容させる鍵となりうるだろうか?』

 過去の歴史を振り返るとき、如何なる科学・テクノロジーであれ、思想・哲学であれ、宗教・信仰であれ、その信条と真理に基づくうえで招いた『決定的な失敗』を見逃すわけにはいかない。つまり、『文明の滅亡という史実』である。

 当時において一部の地域、国家、文明社会が衰退・滅亡した範囲を考えたならば、それはいたって限定的で特定の地理的規模での出来事であった。しかし、今世紀の『グローバル世界における失敗』は、間違いなくこれまでの歴史上、かつて類を見ないほどの『大規模な惨事』となることが予想できよう。

 今日ほど、複雑で多様・重層的とも言える世界を経験した人類は存在しない。そして今まさに、かつてない『時のスピード』にて、私たちは未知なる領域に突き進んでいる。その岐路の上を無意識で歩んでいては、非常に危険な状態を招く恐れがあることを『知覚する時期』にきている。

 人々の中には、現在の世界に『真っ暗な予感』を抱く声も多く、その原因が政治的・経済的支配者層における「闇の勢力」の存在をほのめかし、それらが世界をコントロールしているといった情報をまことしやかに流布する者さえいる。

 しかし、実際には、そのような『情報の氾濫』に潜む危険や病理、いたるところで真実と善と美を脅かしているのは闇の勢力ではなく、『表層の浅薄な力』である。

 今日、そのような表層の浅薄な力は皮肉にも、自らを深遠なものであると宣言している。いたるところにある勝ち誇った恐れを知らない浅薄さが、現代の危機であり脅威なのだが、にもかかわらず、いたるところでそれらは、「私たちを救うものだ」と宣言している。

 情報とは、常にその個人(主体)の対象となる客体として、「発見するもの」でも、「発明するもの」でなく、『発現』するものである。それらは、その個人の『情に報いる世界観価値観の実態』を写し出す鏡であり、現前に存在する自分そのものの『精神の発現』である。そして、「表層の浅薄な力」とは、外部が与える問題ではなく、まさにその逆であり、『本当の問題』が私たち個人(主体)側の意識や認識にある。

 「本当の問題」から目を背けることなく、その現実に分け入る勇気があるならば、『闇と深淵の中』にこそ、『常に私たちを癒す真実』が潜んでいる。

 その視線の先に存在する、あらゆる『流動的事象絶えざる変化の流れ)』を固定的に観察して理論を形成すると如何に聡明な人々でも完全に失敗する。もっともそこでは、まったく異なったカタチで静止したものを観察しており、いたって部分的な把握に留まってしまう。「変動するもの」を直接考察して把握しようとするのは「正しい方法」ではなく、身近なものを鋭い輪郭でとらえるよりも、広範なものを把握することによって変動するものを把握することが必要となる。有意義な方法は、「変動するもの」をその『根底に存在するもの』との関連において考察することである。

 そう言った考察において、現代の情報社会とグローバリゼーションが人類に果たすべき役割は重大ではあるが、当の人類自身はいまだ「未熟な地点」にあり、『真なる世界の入口』に立ったばかりである。つまり、人類の現状は、ことごとく渾沌(混沌)とした状態に置かれており、自らが生み出し、コントロールするはずの科学・技術とそのシステムは、間違いなく人間の生理的なものと十全に知覚を得た意識自体を追い越すかたちで進展している。

 これまでの『失敗の歴史(成功の歴史でなく)』に学ぶならば、革新的な発明やテクノロジー開発への動機がたとえ善意から創発されたものであっても、「平和的利用(道具・手段)」のみに結実するとは限られていない。そして、その創発(発想)を可能とする発明者らの意識レベルと利用者とのそれらの間隙(ギャップ)は、時として『重大な惨劇』を招いてきたことも歴史上の事実である。要するに、情報と知識の獲得が自由に拡大することは、それを手にする人間の『意識と発達のレベル』、あるいは『倫理と人格の成熟度』に関係なく世界に提供(供給)されるとともに、その利用者の意図(善悪)に関わらず、いとも簡単に入手・活用されうるということである。その開けて自由な機会の増大化は、そこに想定を上回る『危機的な機会』も同時に増大させるという、『重要な盲点』をも生み出すのである。

 戦後から70年、東西冷戦の終結から四半世紀を向かえる今日、国家レベルの武力による大きな対立と緊張を避けつつも、新たな問題として「未解決の民族紛争」「独裁体制国家」「台頭する途上国」「テロリスト集団」など、多様な危機的状況は世界的に増えつつある。その傾向は、国内外の社会情勢から各個人の生活環境、自己の心身的状態までに及び、『対立と分離状態』が顕著な様相として全体と部分の双方に観られる。その源泉とは、人間の心理に潜む『深層的な脅威恐怖)』に他ならない。

 そして、現実の世界における『表層的な脅威恐怖)』は、未成熟な集団や個人に至る者までが、世界の知識と技術を見渡せ、そして手にすることを、近年の高度に発展した「グローバルな情報化」は可能としてしまったことであろう。そしてここには、決して見逃してはならない歴史的な「真実」、あるいは「盲点」が、その根底と背後に存在する。つまり、目に見えるカタチでの対立(戦争)は、目に見えない対立と緊張関係といった「情報戦」と言う名のカタチに姿を変え、国家間での対立とその監視の目は、為政者のみに向けられるどころか、世界の一般国民にまで及んでいる。

 もともとインターネット(情報技術)の開発そのものが軍事的利用を目的に発展し、「戦争の道具」ないし「秘密主義的」に情報収集と管理・コントロールに力点が置かれたテクノロジーである。そもそもの目的を遂行するために開発を進められた手段(道具)が、その矛先を変えて世界を巻き込む形でオープンに市場に開放され、一般に利用を許されたその背景と意図を疑われても仕方ないことであろう。

 ただし、秘密がかかわる以上、その情報の内容いかんによっては強力な武器ともなり、戦争の引き金にも成りかねない。あらゆる極秘情報はコンピューターシステムによりデジタルに保存・管理され、グローバルに張り巡らされた情報ハイウェイのどこかに存在する。その在りかを特定することはいまや容易ではなかろうか。後は情報に係わる『人間自体の倫理』に委ねられているとも言えるであろう。

 皮肉なことに、科学・技術の発展と戦争との関係は決して驚くべきことではない。過去何千年もの間、科学・技術や文明の発展は戦争と共に歩んできたのも事実である。多額の投資がその科学・技術と開発者に注がれ、現在の社会・経済、そして学術の高度な文化・文明を人類は築いてきたのである。

 いつの時代においても、あらゆる事象に対して、『価値と限界』、『真実と盲点』を見極めることが賢明であり、望まれる行為であるように、現在は特に重要な命題であることに疑いはない。

 また、『目的戦略と手段戦術)』を取り違えた際の『盲目的な行為過信)』ほど、浅薄さを露呈するものはない。それらの具体的な事例を挙げれば限がないほど、過去から今現在に至る人類の歴史上には、数多く存在している。

 如何なる成功であれ失敗であれ、それらは結果としての産物である。そして、大半の者がその結果にのみ支配される。が、失敗の場合に観られる修正行為には、その結果を変えることに集中するあまり、原因を変えることを怠ってしまう。とは言え、『因果律原因と結果)』が全てではなく、たとえ結果の失敗が、その「当初の構想」までを否定する証明にはなりえないのも事実である。

 いずれにせよ、そこに必ず「価値と限界」、「真実と盲点」という『事象の背後に死角』が潜んでいる。しかし、そこにはそれ相応の『創造性を宿した未顕現の秩序と可能性』が潜んでいる。

 今日における私たちの課題は、歴史や文化の背後に目を向けつつ、『根底に存在するもの』との関連において物事を考察し、表層的な目に映る事象(浅薄な力)にばかり集中力を働かせるのではなく、深層的・根本的な事象に注意力を働かせることが何より求められている。言い換えれば、グローバルな世界の表層(文化・知識・技術・情勢など)を見渡すことは誰もが可能となった今日、それは特別な人間の能力に値するものではなくなった。その代わりに深層的な事象(根底を流れる文脈・意識のレベル・道徳的成熟度など)を見通す(見極める)能力が必須となろう。

 それらは、個人や集団の「パーソナリティー」と「アイデンティティー」の両面を見据えた能力、つまり、『水平的な成長・発達の幅トランスレーション)』と『垂直的な成長・発達の深さトランスフォーメーション)』の相補的な能力を備え、その視線により世界を観察し、そして多様な世界に反応するといった、『包括的な理解解釈)』と『統合的な実践』の相互的な展開を継続する能力と呼ぶべきものである。その「ヴィジョン」は、『多様性の中の統一性の実現化』を示しており、人類進化の歴史上においては『最も高度な心身の変容を世界的共創造によって目指す、大いなる試み』と言えよう。

 今まさに、万物の霊長である人類は、かつてない進化への挑戦、『自己超越による自己実現』を目指すための『新たな未来地図と羅針盤コンパス)』を手にする必要がある。それらは、『ラディカルで革新的なプラクティス』、『包括的ホリスティック/全方位的で統合的な実践インテグラル・アプローチ)』、『全人的なメタ・パラダイムの変容』と呼ばれるものである。

 『共創造的進化の全貌コード・レジーム・カノン・ループ・パターン・サイクル)』を解き明かす本著書を通し、全人類が『統合的な成長ユニバーサル・セックス=大道)』へと開花せんことを心より願っている。

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老子陽明 オフィシャルサイト

 
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