今や時代は『養生の世紀(個人の心身、文化、社会を含む)』を迎えている ‼
「養生」とは、単に病気を予防したり、回復を早めたり、天寿を全うしたりすることではなく、『いのちを正しく養う』ことを意味する。
「命」とは、『スピリチュアル(霊性)』と呼ぶことがある。私は一人ひとりの人体に宿った命を『ソウル(SOUL)/ 魂』、共通の命を『スピリット(SPIRIT)/ 霊』と呼ぶことにしている。ソウルであれスピリットであれ、いのちとは、『ある空間の持つポテンシャル(エネルギーの総和)』と考えている。
例えば、私という人体は地球上で、ある一定の空間を占有しているその空間は当然、ある量のエネルギーを保有しており、このエネルギーの総和であるポテンシャルが、私の霊性であり、ソウルであり、命である。空間が、ある物理量を持つとき、これを「場」と呼ぶことから、『場のポテンシャル』と言ってもよい。
そして、我々の『内なる場』は決して閉ざされたものではない ‼
全てが外界と繋がっており、周囲の人々の場と繋がり、コミュニティーを形成し、自然環境の場と繋がりながら「地球の場」を形成し、さらに「宇宙全体」から「虚空(こくう)」へと果てしなく広がって行く。この、広がる場のポテンシャルも『スピリット』と呼び、『共通の命』と呼んでいる。
いのちを正しく養うとは、この場のポテンシャルを限りなく高めていくこと、限りなく、どこまでも高めていって、いつしか虚空の場のポテンシャルのレベルに到達し、『虚空と一体』となってしまうこと、それこそがまさに『養生の最終目標』となる ‼
● 虚空(こくう)とは・・・
虚空(こくう)とは、「何もない空間、大空」を意味するが、哲学・概念的には「何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所」を意味する。また、「抵抗の感ぜられない空虚な場所」と定義されるが、『タオの思想(養生思想)』においては、感覚世界を超越した実在を意味する『無為』の一種とも見なされる。
インド哲学においては、物質の根源である四大(地、水、火、風)に、それらを産出し包括するために概念的に加えられた「空間」「天空」を意味する言葉であり、インドの五大のひとつである『アーカーシャ(サンスクリット語: आकाश、Ākāśa、独: Akasha、アカシャ、阿迦奢)』の漢訳で、「空」または「虚空界」ともいう。
虚空界とは、虚空のように一切を包括し擁する、色もなく形もない本源的な『真如(しんにょ、巴, 梵: tathatā、蔵: de bzhin nyid)』の世界を表しており、原義では「あるがままであること」「そのような状態」という意味であり、物事の真理・実際のあり方 (the way things are in truth or actuality)、無名で無個性な現実 (nameless and characterless reality)のことである。虚空はまた、説一切有部の五位七十五法のうち、『無為法』の一つである。
単に「空」と訳されることも多いが、この場合は「アーカーシャ」ではなく『シューニャ(サンスクリット語: शून्य, śūnya)』を意味する場合があり、両者は意味する由来がまったく異なるため解釈に重大な影響を与えないよう慎重な注意が必要である。
シューニャは、śū (= śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられた śūna から発展し、「…を欠いていること」という意味である。また、「膨れ上がった」、「うつろな」を意味する。転じて、膨れ上がったものは中空であるの意味もあり、初期の仏典にもその意味で登場することがある。シューニャはインドの数学における 0 (ゼロ)の名称でもある。
また、『ウパニシャッド(梵: उपनिषद्、upaniṣad )』においては人間の内面や事物の本質を意味する「アートマン」(元の言葉は「呼吸」)とされたが、ヤージュニャヴァルキヤは「風」・「空間」・「ガンダルヴァ」・「太陽」・「月」・「星」・「神」・「インドラ」・「プラジャーパティ」・「ブラフマン」を包摂するもの、すなわち存在の一切を統括する法則とした。
西洋の近代オカルティズムではしばしば「エーテル」と同一視される。
ウパニシャッドは、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけ、インドでサンスクリットで書かれ編纂された一連の宗教文書の総称『ヴェーダ(梵: वेद、Veda)/「ヴェーダ」は「知識」の意』の関連書物であり、約200以上ある書物の総称(一般には奥義書と訳される)である。
各ウパニシャッドは仏教以前から存在したものから、16世紀に作られたものまであり、成立時期もまちまちである。もっとも、ウパニシャッドの最も独創的要素は、仏教興起以前に属するので、その中心思想は遅くとも西暦前7世紀ないし前6世紀に遡る。
ウパニシャッドの語源について、「近くに座す」ととるのが一般的である。それが秘儀・秘説といった意味になり、現在のような文献の総称として用いられるようになったと広く考えられている。
後世の作であるムクティカー・ウパニシャッドにおいて108のウパニシャッドが列記されていることから、108のウパニシャッドが伝統的に認められてきた。その中でも10数点の古い時代に成立したものを特に『古ウパニシャッド』と呼ぶが、多くの古ウパニシャッドは紀元前500年以前に成立し、ゴータマ・ブッダ以前に成立したものと、ゴータマ・ブッダ以後に成立したものとある。古ウパニシャッドはバラモン教の教典ヴェーダの最後の部分に属し、『ヴェーダーンタ』とも言われる。
ウパニシャッドの中心は、「ブラフマン(宇宙我)」と「アートマン(個人我)」の本質的一致(梵我一如)の思想(ウパニシャッド哲学)である。ただし、宇宙我は個人我の総和ではなく、自ら常恒不変に厳存しつつ、しかも無数の個人我として現れるものと考えられた。
もともと「自然科学とタオ」は、決して相反するものではない。
古代の道士達は、自然を深く観察していた科学者でもあり、彼らは、西洋で同様の発見や発明が成される遥か数世紀も以前に、天文学、化学、そして生物学などの分野で、偉大な発明・発見を行っていた。その多くの成果は伝統として、いくぶん「秘密のベール」に包まれながら受け継がれてきた。
東洋の「古代からの叡智」と西洋の「現代科学」は、手を携えてお互いの知識を分かち合い、この地球上に住む人々のために、恩恵をふりまいていく時代がやってきた。
そして今や、全世界的に『秘密主義の時代』は終わりつつある ‼
タオの「心身変容技法」である、『精(肉体)⇒気(魂体)⇒神(霊体)』の変容過程、あるいは「量を質に転換していく内的錬金術の技法」は、現代心理学の世界や世界の様々な伝統的な「意識進化のシステム」において酷似していることが、近年しだいに明らかになってきた。たゆまぬ肉体的訓練を通じて、大量に産出が可能となる「気のエネルギー」は、グノーシスの伝統では「血中の火」と呼ばれ、これを瞑想(静功)の練功過程の中で「神」、あるいはインドで「ビンドゥ」、チベットでは「ティクレ」と称されてきた、精神活動をも司る微細な質を持った物質に変容させて行く・・・。
そして、この練り上げられた力は、微細身とその各中枢にとっての貴重な栄養源ともなる ‼
こうした心身変容過程は、洋の東西を問わず、人類進化を標榜するあらゆる修行システムに、驚くほど共通している。その原理は、エニアグラムにおける「オクターヴの数理法則」の中に込められ、あるいは、周易の「六十四卦陰陽の旺衰消長パターン」や、リグ・ヴェーダの「六十四章の記述」の中に秘教的に隠された・・・。
そして、数千年もの長きにわたり、これらの『意識進化のマニュアルを読み解く者』が現われるのを待ってきた ‼
タオの中から産み落とされ、気の遠くなるような旅をし、そして再びタオに還っていく・・・人類の『壮大な生命の旅の攻略マップ』
それらは古くから、「西遊記」の孫悟空一行の冒険として、ホメロスの「オデッセイア」や「オズの魔法使い」のドロシーたちの旅として、世界中のおとぎ話や神話の中で繰り返し、そして密かに『暗号化』されて示されてきた。
こうした、あらゆる「秘教的伝統」が共通して教示する、我々の「進化の鍵」とは決定的に『養生』と『性(セクシャリティ)』にある・・・。
これより、『門外不出のタオの秘伝』を惜しげなく公開する ‼
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