第5章|意味のある偶然の一致『シンクロニシティ(共時性)』

 

 パラダイム・シフト、そしてニュー・サイエンスの波が科学全体に広がって行くにあたって、明確に宣言・提唱された時期とは、おそらく、1968年のオーストラリアのアルプバッハという村で行われた、ある「シンポジュームの開催」が引き金となっている。

 このシンポジュームは、『ホロンの概念』の創案者として知られているジャーナリスト「アーサー・ケストラー」によって具現化され、その参加者には、理論生物学をさらに一般化して『一般システム理論』を発展させた「ルードウィッヒ・フォン・ベルタランフィ」をはじめ、「コンラッド・ウォディントン」、「ジャン・ピアジェ」、「W・H・ソープ」、「ポール・マクリーン」といった、当時の代表的な生命科学の指導者たち15名による、新しい展望を持ち、『科学の統合』を目指す議論によるところが大きい。

 その中心人物であったケストラーは、スペインでジャーナリストとして活動中、スパイ容疑で逮捕され、死刑を宣告されたが、このとき彼は独房の中である種の神秘体験をする。それは神秘家たちが言うところの『大洋の感覚』だったことを明かし、その後において彼はその筆先を「生命科学の分野」へと転じたのである。やがて彼はその「科学的思想の要約」であり、総決算とも言える『ホロン革命(原題:ヤヌス/1983年)』を著した。

 これらの科学者たちも、それまでのリアリティ認識を転換するような体験を通過することによって「メタ・パラダイムの転換」を達成したと考えられる。そして、自らの洞察や発見が誕生するときの『直観や高次のリアリティ体験を意識化』するようになったその時、彼らの視野の中に『東洋思想や神秘主義』がまことしやかに写し出されてきたのである。

 それらへの具体的な関心と考察は取り分け、当時の『人間心理学』や『トランスパーソナル心理学』へと手渡され、そうした神秘体験の肯定的な要素を積極的に認め、また、自身で体験する方法までもが考案せれて行く様相は、『メタ・パラダイムへの意識的な発展』への兆しと受け取れるであろう。

 一般に学問としての「心理学」は、19世紀に形成されたとされるが、その思想は『古代ギリシャ哲学』にまで、その歴史的な起源に遡ることとなる。また、心理学には非常に多くの学派が存在し、それぞれに独自の理論体系もが存在するため、いささか混乱を招きかねない。他にも心や意識を対象とする探究には、「東洋の伝統宗教」、「西欧哲学」、「文学の世界」など、実に多彩なものがある。

 今日、心理学と言うと、多くの人が「フロイト」の名を念頭に思い浮かべるかも知れない。また、フロイトを中心とする『精神分析運動』は、多くの優れた人材を魅了し、その弟子たちで最もよく知られた者には、「ユング」、「アドラー」、「ランク」などの有名な研究者が名を連ねる。ところが、フロイトの「精神分析学」は当時の心理学からではなく、19世紀に医学の一分野として独立した『精神医学』から生まれたものであり、このような「出自の特殊性」が、心理学と言う学問を複雑にしている。

 ある時期、ユングをはじめとするフロイトの弟子たちの何人かはその後、フロイトの基本理論との不一致から、そのモデルの修正を主張し、独自の学派を創設することとなる。特にユングが提示した『集合的無意識』と言う概念は、フロイトばかりか他のあらゆる心理学と一線を画すものとして、そこから宗教や哲学、心理学、精神性に対する「新しいパラダイム」が生み出されることになる。

 フロイトもユングも「宗教と精神性」に強い興味を抱いていたが、フロイトが「宗教的信仰や行動の論理的、科学的説明」を見出すことに取り付かれたのに対し、ユングのアプローチは、はるかに「直接的に数多くの宗教的体験」を通して、『真の精神性を人間の魂の不可欠な部分』と見たのである。

 そしてユングは、『個的成長を自己実現』するにおいて、神秘体験がそのプロセスに至る重要な段階であると見なしたのである。またユングは、「集合的無意識」の中に、『集合的に存在するダイナミックなパターン』があるとして、それらを『元型(アーキタイプ)』と呼んだ。これらのパターンは、人類の太古の体験によって形成されたもので、「夢の中」、さらには「世界の神話」や「おとぎ話」に観られる『共通テーマ』に反映されている。

 つまりユングは、「無意識」を『意識の源』と見なし、そこから「二つの領域の出現」として、一つは個人に属する『個的無意識』と、もう一つは意識の深層に横たわる全人類に共通した『集合的無意識』の領域が存在すると考えたのである。この存在を示す知覚は、古来より様々な呼び名にて伝統的に伝わるものであり、決してユングに始まったものではない。しかし、ユング自身が直接体験した高次なリアリティが深層の「メタ・パラダイム」を開示させ、『個人と全人類』、『人間と宇宙』との繋がりを覚真(確信)へと導いたのである。

 その後ユングは、科学が基本とする『合理的アプローチ』が、リアリティに接近するための数ある中における一つに過ぎないとして、取り分け「人間の魂」を探究するときには、しばしば『合理的理解を超える必要性』があり、『包括的なアプローチ』を何度も強調している。そして、内なる「霊的世界の象徴的イメージ」と外界の出来事との「非因果的つながり」などに対して『共時性(シンクロニシティ/意味ある偶然の一致)』と言うパラダイムを提出するに至ったのである。

 ユングのパラダイムは、それまでの「機械論」、「因果律」、「客観性」、そして「理性」などに強調点がある『西欧的パラダイム』に対して、「包括的」、「非因果律」、「主観性」、そして「感情や直観」、「感覚」など、『伝統的宗教や精神世界』の中で古くから伝えられてきたものに強調点を移し、それを心理学と言う学問領域の中で探究したといえる。

 

 私の見解では、ユングのメタ・パラダイム転換には「東洋(中国)の秘教(秘伝)」である『老子(タオ)』の影響が大きいと観ている。1928年、ユングは「リヒャルト・ヴェルヘルム」の手による『道教の錬金術』のドイツ語訳を入手し、その後これにコメントを付けて、共著による『黄金の華の秘密(1929年)』を出版している。なお『易経』にも傾倒し、また『マンダラ』に夢中となり、「チベット密教」や「禅」などの伝統宗教への関心は高く、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である『鈴木大拙』との親交も深いものであった。

 

 20世紀初頭から60年代中期(66年)までのユングの研究姿勢は、「広大な心の世界」に触れようとするとき、その世界の奥深い神秘や謎に深く入り込み、不可知の地下水脈からエネルギーを汲み出し、『新しい意識の科学の可能性』を探究しようとするものであった。 一つのこの基本姿勢はユングを原点に、その後の心理学における「パラダイム・シフトの波」が、『第三・第四の心理学』へと発展する。

 「物質」から「生命」、そして「心」に対する学問領域は、ユングの予言とも言えるシンクロニシティの出現を示すかのように、私の目前に、一連の『意味ある偶然の一致』なる様相を写し出した。

 まずひとつは、物理学の世界からF・カプラの「タオ自然学」が翻訳・出版された1979年の同時期、心理学の世界からは「アブラハム・マズロー」の著書『人間性の最高価値』が出版され、今や物理学におけるパラダイム・シフトが、一分野での出来事ではないことが示唆されるのであった。

 マズローもユングと同様に、「個的成長と自己実現」に強い関心を寄せており、中でも「自然発生的な超越体験」を『至高体験』と呼び、そうした経験をした人々を対象に広範囲な研究を行っていた。そして、至高体験が自己実現のプロセスにおける、重要な段階であると見なしていた。このような問題意識から、従来の二大学派に対抗した「第三の心理学」である『人間性心理学』を打ち立てていった・・・

 もうひとつは、生命科学におけるアルプバッハのシンポジュームにおいて、「人間的価値を受け入れ得る、新しい展望を持った科学の統合」を目指す論議が交わされていた1968年の時期、アメリカでは「人間心理学会」が開催されていた。マズローの晩年(70年没)である。

 当初マズローは、特定の方法によって「至高体験」を生み出すことはできないと考えていたが、晩年には、至高体験を能動的に呼び起こす方法を開発する必要があり、その方法をもった心理学は『第四の心理学』になると言う考えを発表している。

 そのような考察を模索する中、人間心理学会で自らの研究を発表する一人の精神病理学者との出会いが、「マズローの構想を現実化」するとともに、心理学の統合と新たなパラダイムを展開することとなる「第四の心理学」を誕生させることとなる。その人物こそ、『初代ITA(国際トランスパーソナル学会)会長』を務めることとなる「スタニスラフ・グロフ」である。

 心理学理論がほとんど一致することを確認し合った両者、そして人間心理学者である「トニー・スティッチ」を交えた三人の討議の過程で、「至高体験」や当時はまだ合法ドラッグであった「LSD」などによって引き起こされる『個を超えた意識の体験』を研究するパラダイムとして、『トランスパーソナルと言う言葉が生み出されたのである。そこには「個を超える」、あるいは「個と個の間を繋ぐ」と言う意味がある。西欧の心理学は、基本的に個の心性を対象とする学問であり、ここに「第四の心理学」である、『個を超えた心性』を対象とした心理学が初めて誕生したのであった・・・

 以上、『二つのシンクロニシティ』を、「偶然である」もしくは「必然である」と捉えるか、あるいは「無意識の繋がり」もしくは「意識的な一致」と観るかは、読者の自由意思に委ねたいと考える。但し、お断りしておきたいことは、私は『どちらが正解で間違いか?』を問題としていないということである。

 

『 万事全てに正解を求め、答えを出し急ぐ必要はない・・・。そしてこれらは、古来より希求して止まない『永遠の哲学』と呼ばれるものと同じと言えよう・・・。今しばらくは、ここ半世紀の簡略すぎるこの史実に『目を開き、耳を傾け』て頂きたい・・・

 

 1960年代は「パラダイム・シフト」を考える時、「非常に重要な時代(ターニングポイント)」であった。70年代に入ると、経済的な不況などもあり、一度このような動きは表面から消えていった。

 しかし、80年代に入ると、おおよそ10年ほど熟成され構築された思想としての著書が多く発表され、それが一つの「ムーブメント」として浮上し、いわゆる一群の「ニュー・サイエンス」、「ニュー・エイジ」と総称される動きとなるのである。

 80年代後半から90年代にかけてのニュー・エイジ的な動きは、ヴァーチャルリアリティやコンピューターネットワークなどの展開と呼応する「デジタル・アンダーグランド」的な方向と、チャネリングやヒーリングなどに代表される「ポップオカルト」的な流れに大きく二分されていった。

 90年代半ば頃から21世紀にかけては、ブームそれ自体は去ったが、ニュー・サイエンスの特徴の一つとされた「システム論」的な発想や、「包括論(ホーリズム)」的な思想は、科学の基本に組み入れられた。しかし、もう一つの特徴とされた「東洋思想」との類似や、「神秘思想・神秘体験」などの『メタ・パラダイム』に関する問題は、十分に学問体系の中には組み込まれたとは言えず、探究者それぞれの「個的探究に委ねられた」と言ってよい。

 一方、ホットな話題としてこの間には、「脳死の問題」や「ホリスティックヘルス/代替医療」、あるいは「気の科学的研究」など、『意識と生命』、『物質と生命』などの存在階層における境界面での問題は盛んに研究され、議論されるようになった。

 もう一つは、「科学と心の諸科学」との対話で大いに注目すべき成果として、認知心理学者の「フランシスコ・ヴァレーラ」などの科学者とチベット密教の「ダライ・ラマ」との討議を収録した『心と生命(1995年)』にて、霊的伝統に継承される叡智と西欧科学の探究方法に観られる「差異と共通点」を明確に浮彫にし、相互の距離がかなり明らかになったことが挙げられるだろう。その上で、「人工知能の研究と意識の問題」のように、相互の探究が重なり合うなど、情報科学や認知心理学、そしてコンピューターサイエンスと意識の研究がもっとも注目される分野になることが推測された・・・

 

当時の私はそこに、霊的伝統に秘められた智慧が不可思議な魅力を持って蘇ってくる予感を覚えた・・・

 

 世界は、四方八方十方に創造的進化を開花させ、私たちはその深淵で眩い「次元の存在と認識」の狭間において「価値と意味」を見出す。世界の「四つの領域」、「八つの視点」、「十の事象」は、そのまま私たちの全てのリアリティに他ならない。個の内面と外面および集団の内面と外面の領域(四方/四つの領域)、その個と集団の内面・外面それぞれの内側と外側の視点(八方/八つの視点)、それらの上下、高低、浅さ深さを含む事象(十方/十の事象)は、私たちの「存在と認識」、「価値と意味」のリアリティの次元を示す。それは、「今ここでの多次元構造」、「存在と認識の12段の階層」、「価値と意味の総計16の基底(源泉)と超越(至高/絶頂)の環(ループ)」・・・

 

共創造的進化の全貌コード・レジーム・カノン・ループ・パターン・サイクルを解き明かすもの・・・

 

それらはまさに、私たち個々の意識のレベル、コスモスのアドレス、アイデンティティーを決定する・・・

 

 そのような洞察を得た頃、10年前(1985年当時)の『若きニュー・サイエンスの旗手』が壮大なスケールに変貌を遂げ、現代思想の世界に再登場してきたのである。
 


 
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