日々膨大な情報に麻痺することなく、高度に複雑化する時代の中で、確かな叡智と洞察に基づいて生きていくための「アイディアの必要性」は、アカデミズムの世界のみならず、ポピュラーな世界の人々(個人・組織・共同体など)の間でも、その要求が日々芽生えつつある。
私たちは多様化・重層化する社会の中で、ある特定の方法論のみに固執していては、現実の課題や問題が克服できないことをとっくに気づいている。様々な方法論が、ある特定の課題や問題に対しては有効であるものの、「万能ではない」ことを日々繰り返し体験している。にもかかわらず、なおもその情報の海に溺れながらも、飢えるようにさまよい続けている。
そのような状況に対して、今必要とされる処方箋とは、あらゆる状況に適応できると錯覚させるような、『唯一の方法論(表層の浅薄な力)』を安易に選択することではなく、それぞれの方法論に内包する『価値と限界』を正しく認識し、それらを『統合(インテグラル)/包括』することにある。
そのためには、柔軟な発想に加え、世界に存在する多様な方法論の関連性と相互作用等を、俯瞰的に見通せる『メタ・システム(メタ・フレームワーク)』を構築する必要がある。
つまり、『統合的地図(インテグラル・マップ/AQAL)』を構築し、現実的に多様な活動の展開を可能とする、『統合的な作動システム(インテグラル・オペレーション・システム/IOS)』として機能させ、『現代の処方箋(現実の課題や問題が克服)』に網羅的に適用することにある。
現在これらの試みは、様々な領域(多様な活動の場とその利害関係者)において既に注目されている。それらは今日、『インテグラル理論』と呼ばれ、「包括的・統合的なメタ・パラダイム(メタ・システム)」として、高次な世界観を実践する人々の間で認識が高まっている。
アカデミズムの世界では、学問的な研究の方法論として『IMP/統合的方法論的多元主義(Integral Methodological Pluralism)』の基礎になる。そこでは、政治、法律、経済、環境、医療、教育に関する「社会の集合領域」の研究者をはじめ、心理学や哲学や宗教等の「人間の内面領域」に関する、先端的な研究者や実践者の共同作業が展開されている。
『インテグラル理論』、すなわち、この「メタ理論」は、『メタ実践』に由来しているのであり、これは、「統合/包括すること」の『実践の結果』であって、「統合/包括の理論」ではない。方法論とは、実践であり、指示(進路指示)であり、例示であり、『メタ・パラダイム』である。それは、「現象・経験・データー」を生み出す。
しかし、おそらく一番大事なことは、医療、芸術、ビジネス、政治、エコロジー、スピリチュアリティなどの、およそ如何なる分野にも用いることができ、歴史上初めて、これらのすべての分野の間において、広範で、実り多い対話を行うことが可能になることであろう。
そしてもし、このアプローチが典型的な「ホリスティック」で、「スピリチュアル」で、「ニューエイジ」で、『新しいパラダイム』に毛の生えたものくらいに考えるなら、それは第一に大きな間違いである。
現在のところ「インテグラル理論(思想・アプローチ・ヴィジョン)」は、私たち人類に入手可能な最高で最先端な「メタ・パラダイム」であることは間違いない。しかし、それは決して、私たちにとっての絶対的な目標となる『終局点(オメガ・ポイント)』と言う意味ではなく、『新たな進化への岐路』を指し示す道標である。すなわち、人間の成長・発達、そして進化の現在地、あるいは、今ここにおいて創発し、跳躍を試み、超越を果たすための『開始点(アルファ・ポイント)』を明確に示してくれる。
また現代が、理性を強調する「論理的(合理的)実証主義(経験主義)」から、「多元的相対主義」を見出し、今まさに『普遍的統合主義』と言う、真に統合的・変容的な実践段階への移行期であることを認識させてくれる。
「発達心理学」などの領域から観た場合、この移行段階は「第一層の思考(生存レベル)」から、「第二層の思考(存在レベル)」への移行における、『中間的段階』と見なしている。ちなみに、「トランスパーソナル心理学」では、さらにより高次な『第三層の思考(霊性的レベル)』の意識存在を認めている。
「東洋(そしてしばしば西洋)の伝統的宗教(及び一般的キリスト教)」においては、進化の段階(階層)として、「物質、身体、心、魂、そして霊性の出現」を説明する、『大いなる連鎖』のリアリティのレベルにおける「統合的段階への中間期」を、『中位の心のレベル(理性と愛のような、より深い感情の始まり)』と説明する。
インテグラル理論は、『宇宙の進化(大いなる計画)』の流れの中に存在する、個人、文化、社会、自然が、現在どういう進化の段階(位置)にあるのか、「私たちはどこにいるのか」を明らかにし、そのアドレスを起点にさらなる思索を展開しながら、「私たちはどこに向かえばよいのか」、さらに「私たちはどこまで解っているのか」、「何が解らないのか」を鮮明に示してくれる。そして、『本格的(オーセンティック)な統合ヴィジョン(インテグラル・ヴィジョン)』によって、私たちの生活や仕事、人生や運命を、より全体的でより断片的でない、首尾一貫した統合的成長・発達へと向かわせるのである。
『インテグラル・ヴィジョン』を本気で望むなら、私たち自身のものとして使える『心理学的・霊性的なインテグラル・アプローチ(統合的・変容的な実践)』として取り組む土台ともなる。それは、現代の「発達心理学」及び「トランスパーソナル心理学」から、伝統的宗教の世界において伝えられてきた、「第一層」の意識レベルから、「第二層」の高次な意識への移行、さらに「第三層」の超越的霊性の出現という、『悟りのレベル』に達する実践・修行方法に他ならない。
つまり「インテグラル・ヴィジョン」とは、古くは宇宙の誕生からはじまり、地球の誕生、そして人類誕生に至る、気の遠くなるほどの時空生成と神秘的進化を経て、今日に至る私たちもが『共創造的進化の叡智』に参加・継続・発展させることの権利と責任を与え続けてきたものである。それらは、特定の時代と場所を限定(特別視)しておらず、あるサイクルとパターンによって時代の先端となりえる『軸』を創発的に生み出している。現代以前においては、紀元前6世紀の『軸の時代』のブッダや老子や孔子にはじまり、つづいてイエス・キリストが誕生し、時代は既に二千年以上の時を経ている。それ以前もその間においても、幾度となく「軸の時代」は存在しており、私が観る限り、20世紀後半から21世紀にかけては、ふたたび『枢軸の時代の覚者』とも言える人物が登場している。
その一人として、「インテグラル理論」の開発者でもある『ケン・ウィルバー』は次のような言葉を述べている・・・。
『 インテグラル・ヴィジョンは、自己、文化、そして自然の中で現われているままの、物質、身体、心、魂、霊性を包括することを試みる。統合的でバランスの取れた包括的なものとする理論である。それ故その理論は、科学、芸術、そして道徳を含むものであり、同じく物理学から霊性までの分野、生物学から美学、社会学、そして瞑想的な祈りまでを包括する。それらは、統合的政治、統合的ビジネス、統合的医学、統合的霊性などにおいて姿を現す・・・今日までたどってきた道、すなわち、断片化と疎外の道について探っていくか、全体論(ホーリズム)と統合的な包括に向かうオルタナティヴ(代替的)な道を探るか、最終的にどちらの道を探るかは、もちろん、あなた次第である・・・ 』
【 ケン・ウィルバー 『万物の理論』より 】
【 ユニバーサル・セックス / 大 い な る 宇 宙 の 聖 性 『大 道』:全編 】
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