G2J Entertainment.

G2J Spiritus CLUB. VOL.8:Portrait of a Legend(伝説の肖像)/ LUTHER VANDROSS

 

類稀なるヴォーカル・パフォーマンスで80年代から現在に至るまで、常にスーパースターであり黒人音楽の父であり、影響を与えたアーティストは、R&B、SOULを始め、HIP-HOP、ROCK、POPSまで実に幅広く、アルバムのみのセールスで2500万枚以上の偉業を成し遂げた真のスーパースター『Luther Vandross(ルーサー・ヴァンドロス)』・・・。

2003年4月16日、ニューヨーク市内の自宅アパートで病に倒れ、ファンは勿論、多くのシンガーやプロデューサー等アーティストが1日も早い復帰を祈り続け、長い昏睡状態の中、同年5月には幼い頃からの憧れのアイドルであり親友の「アリサ・フランクリン」が教会で彼の復活を一晩中祈り、その甲斐あってか身体に障害が残ったが、一時重篤の状態を脱したものの、2005年7月1日、惜しくも54歳にて亡くなった。

Hookに力を入れ有能なバックコーラスに主線を任せる手法、重低音から伸びやかに高音域に抜ける歌声、語尾の余韻が少しハスキーな時がたまらなく素晴らしいシンガーだった。

人々がルーサーの手法を真似ても怒るどころか、憧れる多くの若手を積極的にコラボレート相手に指名し、常に自分のスタイルを変えなかった。

2005年に解散が決まったデスティニーズ・チャイルドの「ビヨンセ・ノウルズ」は、ルーサーとのコラボレート曲“Closer I Get To You”について「ルーサーと共演できるのは夢のよう。光栄だし、今までに無く良く歌えた。だって私、ルーサーと歌ったのよ!」と語っていた。

アッシャーは「ルーサーは我々黒人が誇るスーパースター僕も早く彼のようになりたい」と語り、そしてJOEは「僕にとってマーヴィン・ゲイが神なら、ルーサーは誇るべき父だよ」と、現在の全てのスターが全幅の信頼をおき、常に憧れと誇りに感じていたルーサー・ヴァンドロスの若過ぎる死はいまだに悔やまれる。

ルーサーは30曲以上のカヴァー・ソングをレコーディングしているが、その独特な解釈を交えたヴォーカル・アレンジと、支配力のある歌声は唯一無二のもの。中でも他のアーティストが歌う「バート・バカラック作曲」のカヴァー “ A House Is Not a Home ”をはじめ、5曲レコーディングしている。

本日はルーサーがこよなく愛し、多くカヴァーした「バート・バカラックの曲」の中から、1998年のケーブルテレビTNTのスペシャル・コンサートの貴重なライヴ音源であり、彼の 『SO AMAZING VOICE(とても驚くべき圧巻の歌唱)』を証明する“ Windows of the World ~ What the World Needs Now Is Love ”をお聴き頂きたい ‼

by JELLYE ISHIDA.


『What The World Needs Now Is Love』

今、世界が求めているのは「愛」
やさしい愛
たった1つの
この世界に少ししかないもの

今、世界が求めているのは「愛」
やさしい愛
限られた人への愛ではなく
すべての人への愛

神様、
私たちには
もう山なんて要りません
山も丘も
登るのに十分なほどあるし
海や川も渡るのに十分なほどある
永遠に
絶えることのないほど十分にあるのです

今、世界が求めているのは「愛」
やさしい愛
たった一つの
この世界に少ししかないもの

今、世界が求めているのは「愛」
やさしい愛
限られた人への愛ではなく
すべての人への愛

神様
私たちには
もう牧草地なんて要りません
とうもろこし畑も
麦畑も育てるのに十分なほどあるし
太陽の光も、月の光も
輝くのに十分なほどあります
ああ、神様
どうかお聞きください
もしお知りになりたいのなら…

今、世界が求めているのは「愛」
やさしい愛
たった一つの
この世界に少ししかないもの

今、世界が求めているのは「愛」
やさしい愛
限られた人への愛ではなく
すべての人への愛・・・



〖 Luther Vandross(ルーサー・ヴァンドロス)〗

1951年4月21日ニューヨーク市出身、4人兄弟の末っ子として生を受ける。家族構成は両親、2人の姉と1人の兄の6人家族。8歳で父親を亡くし以後、次々と兄弟が亡くなりルーサーと母のメアリー・アイダ・ヴァンドロス2人の生活が長かった。

ディオンヌ・ワーウィックに影響され13歳でシンガーを志したルーサーは、高校時代からハーレムの「アポロシアター」にて、現在も毎週水曜日夜に行なわれている「アマチュア・ナイト」に出演するなど音楽活動を開始する。

大学進学の為、ニューヨークを離れたルーサーだったが、在学中も音楽に没頭しロマンティクな時間も無かったそうだ。そんな大学を中退するにあたり、医学を志すルームメイトから「大学を逃げるなんて信じられない」とかけられた言葉に「君が医者になり、僕が病気になったら、僕は君のところにリムジンで乗りつけよう。僕は逃げるんじゃない。夢を追いかけるんだ」と切り返したエピソードはあまりに有名。

その後、言葉どおり1975年自らがリードヴォーカルを務めたグループLutherを結成し、ソングライティング等も精力的に行うようになった。そんな中、彼にとって最も激動と言えるであろう1981年アルバム「Never Too Much」でソロデビューを飾り、以後次々と大HITを連発する。

1980年代のいわゆるブラコン(ブラック・コンテンポラリー)の第一人者のひとりであり、歌手としてだけではなく、サウンドクリエイターとしても知られ、現在まで16枚のアルバムのセールスが2500万枚を越えるセールスという事からも、 いかにルーサーが長きに渡りスーパースターで在り続けたかお分かりいただけるだろう。

1993年、初めてグラミー賞を受賞、2004年まで実に4回Winnerに輝き、ソウルトレイン・ミュージックアワードやBETアワードも含めると、とても全ての功績を紹介しきれる程度の話では無くなってくる・・・。



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